焼尻観光スポット

焼尻の名所

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鷹の巣園地

島の最西端に、鷹(タカ)の巣園地があります。昔、ワシ、タカ類の巣があったことからこういう地名になったと考えられます。ここは海抜90メートルほどあり島でも一番高くここからの眺めは最高です、北に利尻富士、南に署寒別岳、東に天塩連山、そして西に天売島と360度のパノラマを満喫できます。

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ラナルドマクドナルド上陸記念碑

1824年イギリス人の父と、インディアンの名門チヌーク族の酋長の娘との間に生まれたラナルドマクドナルドは、1848年(嘉永元年)に捕鯨船に乗り日本海に入りボートで焼尻島に上陸、4日ほどいた後、利尻島に向かう。利尻島の野塚沖で難破を装い、ボートを転覆させ島の人に救助される。その後松前を経由して長崎に送られ。そこで幕府の役人に英語を教え、5年後にペリーが来航した際、彼から英語を学んだ役人が通訳をした。

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工兵街道

第二次大戦中焼尻島に駐屯していた工兵隊が崖を切り崩してこの道を作った、後に工兵街道と命名し石碑を立てた。島の北西部にありここから眺める利尻富士は絶景、夕日もお勧め。

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焼尻郷土館

小納(こな)家二代目宗吉氏が明治33年に建築した。和洋折中のつくりで当時としては大変高価であったトタンで屋根を葺き、外装は檜、内部は紫檀や黒檀の柱を使うなど贅を尽くした建物であり、当時のニシン場の繁栄がしのばれる。島にきたらぜひ寄って見て下さい。

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厳島神社

1844(天保15)年 当時松前藩の命により鰊場を開設した栖原家(小右ヱ門)の番人であった山田多三郎が神社の鳥居を寄進、現在の弁天先に神社を創鎮した。その後1936(大正11)年に現在の場所に移転した。

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曹洞宗隻嶺山願海寺

札幌市南6条中央寺の末寺で、大本山永平寺の系統である。明治14年加勢玄海師が新潟県より苫前村にこられ同年布教伝道を目的に渡島し、焼尻天売両村説教所として現在の場所に寺を構えた。その後明治17年に寺号公称し願海寺とした。現在の住職は第12世武山道山師。

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会津藩士の墓

自然公園の、入り口に会津藩士の墓がある、これは文化5年(1808年)当時北方警備に当たっていた会津藩士が折からの台風に遭遇し、焼尻沖で船が遭難したと思われる。墓碑に、文化5年戊辰7月11日会津小原内匠忠貫・戊辰7月16日会津山内一学豊忠とある。興味のある方はぜひ立ち寄ってみてください。

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大正天皇御大典記念碑

雲雀が丘公園1915(大正4)年に大正天皇のご即位の記念事業として公園を整備した。その後大正12年に、当時の軍国主義的な思想の表れとして公園内に忠魂碑及び大正天皇御大典記念碑を建立。

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七庚申

昭和10年ごろ水野長左衛門が秋田から持参し、白浜に石碑を建立したが、遠くて不便なため加勢常次郎氏が自分の地所に移転した。もともとは道教の教えでその年の豊作を願って建てられたものです。

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焼尻キャンプ場のご案内

焼尻島でキャンプされた親子がこんなメッセージを残してくれました。

原文のままご紹介します。

アンケート用紙がありませんでしたのでこの封筒に感想を書きます。一言書き残したい心境なので。

東京都日野市から娘と二人で来ました。バイクで北海道を回っているのですが、娘が羊牧場を見たいということで焼尻に渡って来ました。

事前にインターネットで調べてみたのですが、牧場についてはほとんど情報がありませんでした。でも到着してから見た牧場は観光牧場と違い、とても自然な感じ、広々としていて感動ものでした。 キャンプ地もトイレはキレイ(娘が感激していました)炊事場もキレイでうれしい限りです。

夕方に丘の上に登って、海と牧場の羊と馬(ポニー?)と広々とした牧場とを眺めながら夕陽の沈むのを見ました。夜は、風が強かったのですが、風が雲を払って満天の夜空に輝く天の川を見ました(何十年ぶりです!)また波の音を聞きながらテントで眠るのもすばらしい体験でした。朝は日の出のご来光を見ました。

今 フト思ったのですが、島の反対側にもキャンプ場があれば、日の入り、日の出が水平線から見ることができて、きっと感動的なのではないでしょうか?

今まで北海道に10回以上来ていますが、こんな素敵な体験をできたのは初めてです。

自然の少ないゴミゴミした東京から来た者にはここは天国のようなところです。

また是非来たいと思います。

2010・8・6